ノース・ロンドン・ダービー
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ノース・ロンドン・ダービー(North London Derby)とはサッカーの試合の異称である。トッテナム・ホットスパーとアーセナルの試合を指す言葉で、数あるダービー・マッチの中でも最も歴史あるものの一つである。
[編集] 歴史
アーセナルとトッテナム・ホットスパーが最初に対戦したのは1887年で、当時のアーセナルは現在のエミレーツ・スタジアム、あるいはその前のハイバリー・スタジアムではなく、南ロンドンに本拠を構えていた。両者の反目が始まったのは1913年である。この年、トッテナム・ホットスパーの本拠地ホワイト・ハート・レーンからわずか6㎞ほどのハイバリー・スタジアムにアーセナルが移転して来たことで、両クラブの間にライバル関係が発生。翌年に「地元のライバル」として初対戦している。この時はトッテナム・ホットスパーの本拠地ホワイト・ハート・レーンで、しかもアーセナルは2部所属であったにも関わらず、1部所属のトッテナム・ホットスパーに5-1で大勝している。
両者の対立が決定的なものとなったのは1919年。この年、1部リーグが20クラブに拡張され、1部最下位だったトッテナム・ホットスパーは1部残留が可能なはずであった。ところがFAの決定はトッテナム・ホットスパーの2部降格と、何故か2部5位だったアーセナルの1部昇格という不可解なもので、この裏にはアーセナル経営陣の工作の存在が囁かれた。ともかくこうしてアーセナルはトッテナム・ホットスパーの不倶戴天の敵となったのである。
翌シーズンの2部を難なく優勝してすぐさま1部に駆け戻ったトッテナム・ホットスパーは、早速アーセナルとの初対戦で2-1と勝利を収め、恥を雪いでいる。以降、両者は激しい対立を続けて来たが、近年この対立にさらに油を注いだのがソル・キャンベルの移籍騒動であった。ソル・キャンベルはトッテナム・ホットスパーのキャプテンであったにも関わらず、契約満了と同時にアーセナルに移籍(つまり移籍金をトッテナム・ホットスパーに残さなかった)。この行為をトッテナム・ホットスパーのサポーターは重大な裏切りと認識し、「裏切り者Judas」と呼んでソル・キャンベルを非難した。
2003-2004シーズン、アーセナルは無敗優勝を遂げたが、何とその優勝が決まる一戦がホワイト・ハート・レーンでのトッテナム・ホットスパー戦であった。この試合、アーセナルは引き分け以上で優勝であった。試合はアーセナルが2-0とリードしたが、後半になってまずジェイミー・レドナップが1点を返した。すると試合終了直前に審判がトッテナム・ホットスパーにPKを与え、ロビー・キーンがこれを決めて2-2の引き分けに持ち込んだ。ロビー・キーンがゴールを決めると同時に審判は試合終了を宣言した。この時のPKは微妙な判定であったが、「ホワイト・ハート・レーンでアーセナルがトッテナム・ホットスパーを降して無敗優勝を決める」というシチュエーションの危険さを審判が考慮したのではないかとも囁かれた。なお、ソル・キャンベルは優勝決定の直後に控え室に消え、アーセナル選手陣による優勝アピールには加わらなかった。