マリオ・ソアレス
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マリオ・ソアレス(Mário Soares、1924年12月7日 リスボン - )はポルトガルの政治家、第4代大統領(在任1986年~1996年)。
リスボン大学で歴史・哲学及び法律を学び、1957年大学教員・弁護士となったが、アントニオ・サラザール首相の独裁体制に反対する運動に加わり、度々逮捕された。1970年にはフランスへの亡命を余儀なくされ、ヴィンセンヌ大学、パリ大学、レンヌ大学で教鞭を取った。また当時フランス亡命中であったポルトガルの社会党に加盟し、書記長に推された。
1974年4月25日カーネーション革命が勃発するとポルトガルに帰国、社会党の代表として臨時政府に参加した。新政権内では共産党の勢力拡大を抑え、国軍運動(MFA)の陰謀とも戦った。1976年大統領直接選挙でラマーリョ・エアネス大統領が就任すると最初の首相(在職1976年7月23日~1978年8月28日)となり、その後1983年にも再び首相に登用された(在職1983年6月9日~1985年11月6日)。首相としての功績はポルトガルのヨーロッパ連合加盟を成功させたこととされる。
1986年社会党候補として大統領選挙に出馬し、革命後最初の文民大統領に当選した。1991年にも再選され、1996年まで10年にわたってポルトガル大統領を勤めた。ポルトガルの大統領は多分に名誉職的な性格が強く、議会の勢力関係により、保守派のアニバル・カヴァコ・シルヴァを首相に任命して政権運営に当らせた。ただ国際的に人権問題でしばしば発言している。大統領退任後、1999年から2004年まで社会党からヨーロッパ議会議員に選出されている。歴史家としての著述もあり、著書は30冊を越える。