ミハイル・フォーキン
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ミハイル・フォーキン (Michel Forkine,1880年-1942年)は、ロシア出身のバレエダンサー、バレエ振付家、バレエ教師。
1880年、ペテルブルクで生まれた。98年にペテルブルクの帝室舞踏学校卒業と同時にマリインスキー座に参加、1905年以来、振付家、教師として活躍した。1905年にアンナ・パヴロワのために振り付けた「瀕死の白鳥」は特に有名である。
1909年、セルゲイ・ディアギレフのバレエ・リュッスの結成に参加し、大成功をもたらした。この時期に、「レ・シルフィード」「ダッタン人の踊り」(1909年)「火の鳥」(1910年)「バラの精」「ペトルーシュカ」(1911年)といった傑作を生み出している。1914年に脱退後、アメリカに渡ってニューヨークに定住。1932年にアメリカに帰化し、教師として後進の教育に関わりながら振り付けもした。