ランニングフリー
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性別 | 牡 |
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毛色 | 黒鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1983年4月20日 |
死没 | (現役種牡馬) |
父 | サーペンフロ |
母 | サンマロ |
生産 | 高橋農場 |
生国 | 日本(北海道伊達町) |
馬主 | 藤島泰輔 |
調教師 | 本郷一彦(美浦南) |
競走成績 | 47戦7勝 |
獲得賞金 | 4億0066万1600円 |
ランニングフリー(RUNNING FREE,1983年4月20日-)は日本の競走馬。1980年代後半から1990年代初頭にかけてG1戦線の名脇役として息の長い活躍を続けた。
目次 |
[編集] 戦績
(※馬齢は旧表記とする)
1985年9月に中山でデビュー。年を越して4戦目の未勝利戦で初勝利を挙げる。4戦を経て5月に2勝目を挙げるが、その後は秋まで900万下条件で走り続ける。しかし10月の津久井特別で3勝目を挙げると、次走、格上挑戦となったG3福島記念で50キロという軽ハンデを活かして見事勝利し、一躍オープン馬の仲間入りを果たす。
しかしオープン馬となった後は6戦して2度の5着が最高と苦戦を強いられ、1987年2月には獲得賞金規定により準オープン馬に格下げとなる。しかし直後に内外タイムス杯を2着とした後、ダートのオープン戦マーチステークスを4馬身差で圧勝しオープン復帰を果たす。勢いを駆って出走した春の天皇賞でも、13番人気ながらタマモクロスの2着と大健闘し、波乱を演出した。
その後はオープンに定着し、G1戦線で常に掲示板をキープする好走を続ける。7歳時にはアメリカジョッキークラブカップ、日経賞とG2を2連勝するなど活躍した。この日経賞が最後の勝利となったものの、その後も中長距離路線の名脇役として走り続け、9歳になった年頭のアメリカジョッキークラブカップ3着を最後に引退した。 華々しい活躍こそなかったがコツコツと走り続け、堅実に賞金を稼いでいた事から競走生活の晩年には「馬主孝行」「無事是名馬」の代名詞といわれるようになり、ファンからも愛される存在となった。
[編集] 引退後
現役引退後は生まれ故郷の高橋農場で種牡馬となった。成績、血統ともに地味であった事から繁殖牝馬が集まらなかったが、数少ない産駒の中から1997年の弥生賞を圧勝したランニングゲイルを輩出し、父子共に注目を集めた。後に続く馬はまだ出ていないが、今現在も種牡馬として登録され、高橋農場で供用されている。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 藤島 泰輔 『馬主の愉しみ―ランニングフリーと私』 草思社、1991年 ISBN 4-794-20432-9
カテゴリ: 1983年生 (競走馬) | サラブレッド | 日本生産の競走馬