リチャード・クロムウェル
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リチャード・クロムウェル(Richard Cromwell, 1626年10月4日 - 1712年7月12日)は、イギリスの清教徒革命後の共和政下の政治家。父は清教徒革命の指導者であったオリバー・クロムウェル(リチャードは長男、在任:1658年 - 1659年)。
1654年から国会議員となって父を補佐した。1657年には国務会議議員とオックスフォード大学の総長を兼任する。1658年、父の死により後を継いで第2代護国卿となったが、リチャードには父のオリバーほどの器量も才能も無く、しかも議会を解散して父以上の独裁政治を行なおうとしたために議会の反発を買って1659年、護国卿となってわずか8ヶ月で辞任を余儀なくされた。1660年に王政復古がなってチャールズ2世が王となると、報復を恐れてフランスに亡命する。以後は名前を変えてパリで過ごしていたが、1680年頃にイギリスに帰国して、その後は政界に関わらずに余生を送った。1712年、87歳で死去。
すでに父の晩年から共和制は崩壊寸前となっていたが、器量も人望も無いリチャードが後を継いだことは、それをかえって促進させたのであった。