ルスラン・カラエフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルスラン・カラエフ(Ruslan Karaev、Руслан Караев、1983年5月19日 - )は、北オセチア共和国出身のキックボクサー。身長188cm、体重95.0kg。血液型B型。「ロシアの速射砲」の異名をもつ。
デビュー1年目に実質武蔵に勝つほどの実力を持つ新世代の旗頭である。ちなみに、K-1をゲームで知ったのでゲームのキャラクターになるのが夢らしい。なお、得意のバックスピンキックはテコンドー家のトレーナーによって磨かれたらしい。
そのファイトスタイルゆえガードが甘くKO負けが多いためパンチドランカー化を心配する声も多い。
HERO'Sで来日している総合格闘家アラン・カラエフは従兄弟。
目次 |
[編集] 来歴
アマチュアでは167戦159勝8敗125KOという驚異的な戦績を残し、アマチュアキックボクシングで世界を制した後、2005年の広島大会にアマチュア最強としてK-1に参戦。初戦はレイ・セフォーと対戦するもわずか37秒でKO負けしてしまう。ただ、敗れはしたもののカラエフの高い実力が買われ、同年8月のラスベガス大会に出場することになる。
K-1ラスベガス大会(最終予選)では、ヘビー級とは思えないスピードと必殺のバックスピンキック(後ろ横蹴り)で見事優勝。前に出るアグレッシブなスタイルでK-1ファンを魅了した。
K-1 WORLD GP開幕戦ではアーネスト・ホーストの代役であるリカルド・ノードストランドと対決し、勝利を飾る。デビュー1年目にしてグランプリ本戦へ進む快挙を成し遂げた。
本戦では一回戦で武蔵と対決。4R通して手数で武蔵をはるかに上回り、誰もがカラエフの勝利を確信していたが、まさかの判定で敗れてしまう。ちなみに試合後の会見で「武蔵選手はノックダウン、もしくは、ノックアウトしないと勝てないことは知っていました。」と発言したことは多くの反響を呼んでいる。
2006年4月に行われたラスベガス大会ではかつてGPの常連であったステファン・レコに2度のダウンを奪い勝利した。 しかし、6月3日に行われた韓国大会でレイ・セフォーとリマッチを行ったが、1R序盤こそ素早い蹴り技でセフォーを圧倒したものの、中盤にはカウンターのブーメランフックをモロに喰らい失神KO負け。返り討ちにされた。
2006年8月12日に行われたラスベガス大会ではデューウィー・クーパーをスピーディーなコンビネーションで終始圧倒し文句なしの判定勝ちを収めるが、クーパーの反撃に思わず後退する場面も見られ、K-1の谷川貞治氏に「ガードのトレーニングをしないと危ない」とコメントされた。
2006年WORLD GP開幕戦では新星バダ・ハリと戦うことになり、今後のK-1を担っていく若手同士の勝負となる。この勝負の結果はカラエフの1R秒殺KO勝ち。これに対し立ち上がったハリは激しく抗議し、暫くリングに留まっていたが結果は覆らなかった。しかしこの試合には疑問が多く残り、肘打ちを放っているような光景や、スリップによって地面に腰を下ろした状態のハリに蹴りを浴びせるなど、カラエフが反則行為を行っている様な光景が多く目に付いた。K-1側は右ストレートKOとしているが、正確にはクリーンヒットは無く、ハリ自身がローキックを放った際バランスを崩し、パンチを防ぐために腰を落とした所をカラエフが蹴った事で起こった事故の可能性が高い。
2006年12月2日のK-1 WORLD GP決勝戦・準々決勝でグラウベ・フェイトーザと対戦。スピードを活かして戦うも、独自の軌道を描くブラジリアンキックを浴び、ふらついたところへグラウベのラッシュを受けスタンディングダウンを取られてしまう。そして、10カウント以内にファイティングポーズが取れず、また目の焦点が合っていなかった為、試合を止められてしまった。結果は1分11秒KO負けで、以前から指摘されていた防御面の甘さが改めて浮き彫りとなった。
2007年3月4日のK-1 WORLD GP in YOKOHAMAで前回消化不良に終わったバダ・ハリとヘビー級王者挑戦者決定戦に臨む。2RKO負けを喫したがダウンを奪うなどカラエフの健闘も光り、K-1史に残る壮絶な試合となった。この試合について解説を担当していた魔裟斗は「ミドル級よりスピードがあった」と評価していた。
[編集] 戦績
- アマチュアキックボクシング: 169戦 160勝 125KO 9敗
- プロキックボクシング: 10戦 6勝 4敗 1KO
戦目 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
1 | 2005年6月 | 負 | 1R | TKO | レイ・セフォー | ニュージーランド | K-1 WORLD GP 2005 in 広島 スーパーファイト |
2 | 2005年8月 | 勝 | 1R | KO | フレディ・ケマヨ | フランス | K-1 WORLD GP 2005 in ラスベガス 一回戦 |
3 | 2005年8月 | 勝 | 3R | 判定3-0 | アゼム・マクスタイ | スイス | K-1 WORLD GP 2005 in ラスベガス 準決勝 |
4 | 2005年8月 | 勝 | 3R | 判定3-0 | スコット・ライティ | アメリカ | K-1 WORLD GP 2005 in ラスベガス 決勝 |
5 | 2005年9月 | 勝 | 3R | 判定3-0 | リカルド・ノードストランド | スウェーデン | K-1 WORLD GP 2005 開幕戦 |
6 | 2005年11月 | 負 | 延長1R | 判定3-0 | 武蔵 | 日本 | K-1 WORLD GP 2005 決勝トーナメント 準々決勝 |
7 | 2006年4月 | 勝 | 3R | 判定3-0 | ステファン"ブリッツ"レコ | ドイツ | K-1 WORLD GP 2006 in ラスベガス スーパーファイト |
8 | 2006年6月 | 負 | 1R | KO | レイ・セフォー | ニュージーランド | K-1 WORLD GP 2006 in ソウル スーパーファイト |
9 | 2006年8月 | 勝 | 3R | 判定3-0 | デューウィー・クーパー | アメリカ | K-1 WORLD GP 2006 in ラスベガス スーパーファイト |
10 | 2006年9月 | 勝 | 1R | KO | バダ・ハリ | モロッコ | K-1 WORLD GP 2006 開幕戦 |
11 | 2006年12月 | 負 | 1R | KO | グラウベ・フェイトーザ | ブラジル | K-1 WORLD GP 2006 決勝トーナメント 準々決勝 |
12 | 2007年3月 | 負 | 2R | KO | バダ・ハリ | モロッコ | K-1 WORLD GP 2007 in 横浜 ヘビー級タイトルマッチ挑戦者決定戦 |
[編集] 獲得タイトル
[編集] 外部リンク
- 公式サイト(日本語)