三木直頼
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三木 直頼(みつき なおより、明応6年(1497年)? - 天文23年(1554年))は戦国時代の人物。飛騨三木氏の当主。姉小路良頼の父。大和守。
直頼の三木氏の出自は多賀氏(佐々木氏の一族)とも藤原氏ともいわれはっきりしない。直頼の父は三木重頼と伝わるが、直頼以前の三木氏については不明な点が多い。
もともとは飛騨の一国人にすぎなかったが、室町時代に守護であった京極氏や代々国司であった姉小路家が戦乱や内紛などにより衰退していたことと、隣国美濃土岐氏と手を結んだこともあって、実力をつけ、飛騨の南半分を征服し、三木氏が戦国大名として躍進する基礎を築いた。後に土岐頼芸に援軍を要請されるなど、近隣諸国にもその勢威は及んだといわれ、隣国信濃の木曾氏とも争っている。晩年は飛騨北部を支配する国人江馬氏の江馬時経と飛騨の覇権を巡り争ったが、時経の死後は和解したという。
菩提寺は禅昌寺。また、桜洞城の築城者であるとされる。