上杉憲秋
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上杉憲秋(うえすぎのりあき、 ? - 享徳4年(1455年))は、室町時代の人物。上杉氏の一族(犬懸上杉家)。中務大輔。憲顕とも。上杉氏憲(上杉禅秀)の子。上杉憲方、上杉持房、上杉憲基、上杉教朝らの兄。上杉憲久、上杉憲定の父。中務大輔。右馬助。
上杉禅秀の嫡男である。上杉禅秀の乱の際には父に従い一軍を率いて鎌倉公方足利持氏と戦ったが、途中で病を得て戦線を離脱したため京へ逃れ、命を長らえた。
のち、享徳の乱の緒戦において、関東管領上杉憲忠を殺害した足利成氏(持氏の子)を討伐するために上杉顕房(扇谷上杉家)や長尾景仲(白井長尾氏)らと共に転戦した。分倍河原の戦いにおいて、先陣を務めたものの、成氏の猛攻に遭い破れ、現在の高幡不動の地において自刃した。