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『中島みゆき お時間拝借』(なかじまみゆき おじかんはいしゃく)は、1994年4月2日~1997年9月28日までTOKYO FMが計181回に亘って全国ネットで放送していたラジオ番組である。パーソナリティはシンガーソングライターの中島みゆき。
[編集] 概要
- 中島みゆきが、聴取者からのハガキを基にトークする番組。当時、ドラマ『家なき子』の主題歌であったシングル『空と君のあいだに』が大ブームとなっており、放送開始より注目番組であった。
- かつての『オールナイトニッポン』や後の『中島みゆき ほのぼのしちゃうのね』等と同様、歌とはまったく違う中島の明るくお喋りな部分が聞ける番組であった。特にオープニングでは本人が「そいじゃ参りまっすよー。なーかじまみゆき、おーじかーん、はーいしゃっくー」とタイトルコールをしてから自身の曲をかけるのだが、その叫び声とコール後にかかる『空と君のあいだに』『浅い眠り』などとのギャップがすさまじく、およそ同一人物のものとは思えないほどだった。
- 1995年11月には深夜1時より早朝6時までの生放送の特番『中島みゆき 朝まで拝借!生ラジオ』が全国フルネットで放送された。この番組では中島みゆきと関係の深い安達祐実、吉田拓郎らからのメッセージ紹介、各コーナーのスペシャル版、リクエストをもとに決定した「心に残るあの一曲・ベスト20」の発表、等が放送された。実際は、本人の出演は4時半までであって(キーステーションのTOKYO FMはここで飛び降り。理由は「高校通信教育講座」が入るため)、途中から大橋俊夫アナに交代した。最後の一時間は「中島みゆき世界歌謡祭」と題して、海外のアーティストが歌うみゆきソングが放送された。
- 放送開始から1年間は毎週土曜・23:00~23:55の放送であったが、1995年4月より日曜日の同時間帯に移動した。またスタート当初は中島がCMソング(『ファイト!』)を手がけていた住友生命が単独提供していた。
- 槇原敬之はこの番組のファンであることを公言していて、何度かゲスト出演していた。
- 1995年10月22日には工藤静香もゲスト出演し、「生」のみゆきに驚かされたという。また、当時リリース直前の工藤のシングル曲『7』の歌詞を見せたところ、中島の雰囲気が変わって「テストを受けてるみたいだった」と語っている。
- 放送終了後の1999年11月7日、アルバム『日-WINGS』『月-WINGS』の2枚同時リリースを記念し、特番『中島みゆきスペシャル・月日を越えて~復活!お時間拝借』が放送された。
- 1995年11月には、番組で紹介されたハガキを再編集した番組本『中島みゆき お時間拝借』(TOKYO FM出版)が発売されている。
- TOKYO FMの社長がこの番組を大変気に入っていたと、雑誌に掲載されたことがある。また、スタジオのテーブルが新調されたとき、放送中に社長にお礼を言っていた。
- 1997年9月28日、最終回のタイトルコールはタイトルをもじり「中島みゆき、おっじかーんへんきゃくー(お時間返却)」だった。
- JFN系列局でも、FM三重だけはネットしていなかった時期が長かった。
- どういうわけか、医療関係者(医師、看護師など)からの投稿が多かった。
[編集] 主なコーナー
- みゆき通り・土曜23時
- 男と女にまつわるエピソードを紹介するコーナーだが、ほとんどがドジな失敗談。大橋俊夫アナウンサーの、ムードたっぷりなオープニングナレーションが特徴であった。
- みゆき座・日曜劇場
- 土曜から日曜に移動した際に「みゆき通り・土曜23時」から、このコーナーに変更された。日常の失敗談を紹介するコーナー。
- 茶会へようこそ
- せせらぎや鳥の声がするSEをバックに、あるテーマに沿ったハガキ(「お茶請けハガキ」)を紹介するコーナー。年に何回か「茶会へようこそ」スペシャル(例:『小さな幸せスペシャル』『懺悔スペシャル』)が行なわれていた。「ちゃーかーいーへ、よーこそ」と、独特な抑揚で中島が発するタイトルコールも特徴であった。
- なお、エンディングには必ず感動したり、しんみりしたりするハガキを1通紹介していた。
[編集] 関連項目
(TOKYO FM)JFN系 日曜23:00枠 |
前番組 |
中島みゆき お時間拝借 |
次番組 |
Canon FMワンダーランド |
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