亘理元宗
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亘理 元宗(わたり もとむね、享禄3年(1530年) - 文禄3年6月19日(1594年8月5日))は、日本の戦国時代の武将で、陸奥の戦国大名伊達稙宗の十二男。母は亘理宗隆の娘。伊達政宗の大叔父に当たる。子に亘理重宗、孫に伊達定宗。幼名は乙松丸。号は元安斎。
はじめ亘理家には兄の綱宗が養嗣子として入っていたが、早くに死去したため、元宗がその養嗣子として家督を継いだ。甥の輝宗やその子政宗にも仕えて各地を転戦する。一族衆だったことから信任は厚く、相馬盛胤との戦いでは伊達全軍の指揮を任されたこともあった。1594年、涌谷大貫で死去。享年65。
[編集] 系譜
- 実父:伊達稙宗
- 養父:亘理宗隆
- 正室:月光院(国分盛氏の娘)
- 亘理重宗