人頭税石
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人頭税石(じんとうぜいせき、にんとうぜいせき)は、沖縄県宮古島にある高さ143cmほどの石柱。他に「賦測石(ふばかりいし、ぶばかりいし)」などの呼び方がある。
たっている場所は、かつて「ンミャガーニのウプユマタ(宮金家の大通り)」と呼ばれた場所であり、かつて平良の荷川取地区の人々が多く集まった場所であった。
また正確には、史跡ではない。
[編集] 由来
西暦1609年「慶長の役」にて、琉球王国は薩摩藩の侵略により支配され、薩摩藩へ税を支払わなければならなくなった。財政的に困窮した琉球王国の王府は、宮古・八重山地方などへ厳しい人頭税を課した。その際に宮古島では、人頭税石と同じ背の高さになると課税されたと伝えられている。この伝承を、大正時代に宮古島を訪れた民俗学者・柳田國男が、著書『海南小記』に書き記したことから全国に広まり有名になった。
しかし、人頭税石と同じ背の高さになると課税されたという歴史的事実はなく、実際には身長ではなく年齢で課税されていた。宮古島には、1714年頃から正確な戸籍があり、人頭税の対象を15歳から50歳までの島民とし、穀物(宮古島では主に粟)または反物にて納税させた。琉球王国では、土地の個人所有が禁じられており、生産手段が限らていたことから、社会的な地位が低い者ほど納税がしづらく、非常に重い負担となった。
この人頭税石(ふばかり石)には、ほかにも様々な伝承がある。その中には、かつて蔵元(宮古島内の貢租を取り扱った場所)の中庭にあり、霊石信仰の対象であったとする説もある。
なお、この人頭税は1637年から1903年まで続いた。
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