分離派
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分離派(ぶんりは)
- プロテスタントの一派(本項で記述する)
- ロシア正教会から分かれた一派でラスコーリニキ。17世紀に総主教に反発して正教会を離れ、弾圧を受けた(のちに公認される)。
- 19世紀末から20世紀始めにかけてドイツ語圏で新しい芸術を求める運動を起こしたグループ。セセッション、ゼツェッシオンとも。ウィーン分離派(1897年)が最も有名であるが、ミュンヘン分離派(1892年)、ベルリン分離派(1899年)もある。
- 日本で大正時代に新しい建築を目指して活動を行った青年建築家のグループ。山田守、堀口捨己らが参加。分離派建築会。
分離派(ぶんりは Separatists)はイギリス国教会から分かれたプロテスタントの諸派を指す。
国教会の改革を求めるプロテスタントはピューリタン(清教徒)と呼ばれたが、その中にも、国教会に留まって改革を図るもの(非分離派)と国教会から分かれることを主張したもの(分離派)がいた。分離派には、会衆派(組合派)、独立派、バプテスト派、クエーカーなどを含む(?) メイフラワー号でアメリカに渡ったピューリタン(ピルグリム・ファーザーズ)も分離派に含まれる。
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