ノート:力道山
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「自宅に押し入った強盗に刃物で刺されあっけない最後を遂げる。 」とありますが、うちのサイトでは「1963/12/08 力道山が赤坂のキャバレーで暴力団員に刺される。15日に死亡」としています[1]。確認資料はブリタニカ日本語版(オンライン版)および大泉出版『雑学366日今日はどんな日』となっています。nnh 05:50 2003年11月26日 (UTC)
どうぞ変更して下さい。私の記憶違いだったかもしれません。ブリタニカから書くと著作権違反となりますのでご注意を。ロリ 05:59 2003年11月26日 (UTC)
- 諒解しました。ブリタニカは事実の確認のために使っただけで、文章は私のオリジナルです(もっとも、語順を変える以外は誰が書いても同じになるくらいまで情報を削ぎ落としてますが)。nnh 06:05 2003年11月26日 (UTC)
[編集] 帰化の事実はあったのか
力道山が朝鮮半島出身であるためか、[[Category:帰化日本人の力士]]や[[Category:帰化日本人のプロレスラー]]がはられていますが、本当に帰化の事実はあるんですか?
力道山が生まれた1924年当時の朝鮮半島は日本の一部だったので、生まれたときから日本国籍を保有しており、地域籍が内地ではなく朝鮮であったにすぎないはずです。その後、長崎で養子縁組しているようですが、その時期は日本国との平和条約の発効前のはずなので、養親の戸籍に入る結果、当時施行されていた共通法3条の規定により地域籍が内地に変動することになります。そのため、1952年の条約の発効により朝鮮人が日本国籍を喪失したとしても、力道山の1952年当時の地域籍は内地であるため日本国籍を保有しつづけているはずであり、朝鮮から日本に帰化した事実があるとは思えません。
もっとも、養親と離縁した事実があるとか、実は養親の地域籍も朝鮮であったというのであれば話は別でしょうが。--Lohi 2006年6月13日 (火) 12:33 (UTC)
帰化したという事実が確認できないようなので、国籍から「帰化」を外しました。--Cuniculus 2006年6月19日 (月) 12:07 (UTC)
[編集] 死亡原因に誤り?
化膿性腹膜炎とあるが、病院側の発表は「腸閉塞」だったはず。実際の原因については正しいですがどこから引用したのか気になります。 --Augus 2007年3月14日 (水) 13:18 (UTC)