北畠顕泰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
北畠 顕泰(きたばたけ あきやす)は、南北朝時代から室町時代前期にかけての武将。伊勢北畠氏の第3代当主。
|
||||
時代 | 南北朝時代から室町時代前期 | |||
生誕 | 不明 | |||
死没 | 応永19年(1412年)9月 | |||
官位 | 正二位、権大納言 | |||
氏族 | 北畠氏 | |||
父母 | 父:北畠顕能 | |||
子 | 北畠満泰、北畠満雅 |
伊勢北畠氏第2代当主・北畠顕能の次男として生まれる。永徳3年・弘和3年(1383年)に父が死去したため、家督を継いで第3代当主となる。南朝側に協力して北朝側で伊勢守護を務めていた土岐氏と伊勢の支配権をめぐって争った。明徳3年・元中9年(1392年)に南北朝が統一された後も、南朝の元号である元中を書状で使用するなど、なおも室町幕府に対して抵抗した。
しかし当時の室町幕府は第3代将軍・足利義満のもとで全盛期を迎えていたため、さすがの顕泰も幕府に抵抗することの愚を悟り、幕府と講和した。そして応永6年(1399年)12月の応永の乱では、長男の北畠満泰と共に幕府軍の一員として参加し、武功を挙げたが、満泰は大内軍の抵抗にあって戦死してしまった。
応永19年(1412年)9月に死去(ただし異説として応永9年(1402年)10月に死去ともされる)。長男の満泰は戦死していたため、次男の北畠満雅が後を継いだ。