印籠
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印籠(いんろう)とは、薬を入れ腰に下げる小さな容器。江戸時代に流行した。
3段、4段、5段重ねに仕切った扁平な小型容器に設え、両側に穿った穴に紐を通して連結させるのが通形である。蓋の両肩から伸びた紐の先端には腰に下げるための根付を着し、その間に取り付けた緒締で各段の開閉を調節する。重ね容器としているのは、異種の薬品を一具の中に納めるための配慮である。
[編集] 起源と歴史
印籠は本来、印判や印肉を納める容器であり、薬籠というべきこの種の容器を印籠と呼び慣わすようになった経緯は明らかでない。
中世における印籠は、1437年に後花園天皇が室町殿に行幸した際の室内飾の記録である『室町殿行幸御餝記』をはじめ、『蔭涼軒日録』や『君台観左右帳記』などの記事によっても明らかなように、薬籠、食籠、花瓶などとともに押板や違棚に置かれ、室内の御飾とされるのが通例であった。しかし1523年の記録に基づく1660年の『御飾書』には、「棚置は印籠なりとも薬籠に用いて吉」とあり、印籠を薬籠の代用とするのは良いとされている。したがって薬籠の代りに飾られた印籠が、やがて薬を入れる器の呼称として通用するようになった可能性も考えられる。薬品入れとしての印籠の成立時期は判然としないが、薬品の携行を最も必要としたのは戦陣における武士であり、そのときに腰に提げて携帯用とされた薬入れが、戦国時代を経て、しだいに佩用の薬入れとしての体裁を整え、近世初頭には上層階級の玩弄とされるような細巧な印籠に発展するに至ったと想定される。これに印籠の名を冠したのは、印籠を薬籠としても用いるという前代の考え方がそのまま踏襲されたためと考えられている。
[編集] 江戸時代の印籠
江戸時代には形式も多様化し様々な技法を駆使した精巧なものが作られるようになるが、その形態や製法・装飾法を分類した記録としては1732年の『[[万金産業袋』が古い。これに図示される形式は16種を数え、方形、長方形、円形、楕円形など幾何学的な形状を呈するもの、引出し付きや比形、羽子板形、塗笠形など、事物を象って意匠としたものもある。作りには漆器、木竹器、金属器、陶器、牙角器などがあり、装飾法も多岐に及ぶが、とりわけ漆器で蒔絵を施したものに佳品が多く、江戸時代工芸の最も特色ある一分野となっている。この時代の蒔絵師のほとんどがこれに手を染めたが、印籠蒔絵師としては幸阿弥家、梶川家、古満家、山田常嘉等が名門として知られ、特に飯塚桃葉、原羊遊斎、中山胡民、古満寛哉、柴田是真等は名工として名高い。