史料批判
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史料批判(しりょうひはん、 独語Quellenkritik)とは、歴史学の研究上、史料を用いる際に、様々な面からその正当性、妥当性を検討すること。
日本ではテキストクリティーク (text critique) とよばれることもある。
一般に外的批判、内的批判に分けられる。
目次 |
[編集] 外的批判
史料の外的な条件を把握してゆくことが必要である。例えば、次のような視点から史料の確かさを検討する。
- 偽文書でないかどうか(真偽)
- 家系図などは後世の偽造である場合も多い。用いられている用語や言い回し、紙や筆記具の状態なども判断材料になる。筆跡から、後の人が加筆したことが判明する場合もある。
- その史料はどのように伝えられてきたか(来歴)
- 例えば当事者の子孫に代々伝えられてきたのか、出所不明なのか、など。
- オリジナルの史料かどうか
- 他の史料の引用・孫引きか、記述者本人の見聞か、などを把握する。当事者の日記や書簡、その当時作成された公文書などは最もオリジナル性が高く、一次史料とされる。これに対して後世の編纂物や後からの回想などはオリジナル性が低くなる。
[編集] 内的批判
史料の信頼性を検討し、史料の性格や価値を判断する。信頼性というのは、記述者と書かれた内容の関係を考察し、記事の確かさを検証することである。
歴史研究において一次史料を扱うことは必要不可欠であるが、一次史料が必ずしも正しいとは言えないから注意を要する。例えば、事件の当事者が事件直後に書いたものと、事件から相当経過してから伝聞を元に書いたものを比較すると、一般的には時間的・空間的に近く、また当事者に近い方が信頼性が高いと考えられる。実際、それまで知られていなかった一次史料の発見によって、それまでの歴史解釈が大きく変わることもしばしば見られることである。ただし、当事者であるがゆえに、かえって自分に都合のいいように記述したり、都合の悪い点を隠す場合も多い(公表を意図して書いたものかどうか、など史料が成立した経緯も信頼性に影響する)。そのため、一次史料を別の立場から書かれた史料と比較検討することも必要である。特に市町村史などはこのような内的批判を経ていないことが多いため、引用文献や参考文献として考慮することには慎重さを要する。
ある事実について、例えば新聞記事と、官公署の報告書、当事者の証言などが一致していれば、その点についての信頼性は高いといえる。ただし一方が引用・孫引きの史料であれば一致するのは当然なので、言葉の使い方や表現法などからどちらがオリジナルか、判断する必要がある。また、複数の史料同士が相互に矛盾している場合は、単なる事実誤認・勘違いによるものなのか、それぞれの記述者の利害関係によるものか、思想的な背景があるのか、など様々な面から検討を行ったうえで、史料を総合的に判断することになる。
古い記録の場合、筆者がどういう人物か不明である場合も多いが、できるだけ筆者の人物像を明らかにすることが必要である。筆者の立場や教養、主義・思想などによって史料の信頼性は大きく左右される。また、一まとまりの史料群については、史料群全体の性格を理解することが重要である。史料を総合的に検討することで、正確な内容が多く信頼できる史料と、不確かな記述が多く信頼しがたい史料などの区別も付いてくる。例えば、ある宣教師の書いた報告書は、事実関係については相当正確であるが、宗教的な偏見から誤った解釈がされていることが多い、など史料の性格を把握することが大切である。
[編集] 実証主義批判
実証主義的な歴史学では、上記のような史料批判に耐えられた史料のみを用いて、史実を確定し、その解釈を行って、歴史を記述してゆく。
現代の歴史学では、実証主義は史料を狭く解釈しすぎていると批判されている。心性史や社会史は上記のような史料批判で残った史料を用いるだけでは、ほとんど捉えられないであろう。例えば実証主義の立場から見ると、うわさや伝説は「真実でない」として一蹴されてしまうが、そうしたうわさや伝説を受け入れ、伝えていった民衆の心性をテーマに捉えることによって、歴史のある側面が浮き彫りにされることもある。
[編集] 関連項目
[編集] その他
ミケランジェロ作と伝えられる天使像を追った「クローディアの秘密」(E.L.カニグズバーグ)に、彫像製作に当たってのデッサンメモについて真贋を問うストーリーが登場する。