吹上佐太郎
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吹上佐太郎(ふきがみさたろう、1889年2月 - 1926年9月28日)とは関東連続少女殺人事件で関東八県でレイプ27件、レイプ殺人6件を犯した元死刑囚である。永山則夫と同様シリアルキラーでありながら文筆家でもあった。
[編集] 経歴
佐太郎は1889年2月、京都府生まれ。父親は大の酒好きで、酔っていたため寝ている子供たちに構わずセックスを行っており、それを見ていた佐太郎は7歳頃から妹の性器を弄繰り回していた。9歳の時には家から追い出され奉公に出された。彼は職を転々とした。奉公に出された場所では金を持ち逃げし首になる。別の西陣の工場も逃げ出した。
その次に西陣の機屋で働いた。11歳になる頃には17,8歳の女中二人がいたが、そこでは一緒の部屋で寝る事が行われていた。そのため、毎晩のように一人の色好みの女中に無理矢理少年姦をされていた。毎晩、18歳の女中の慰めになったり慰められていたりしたのであるが、その性遊戯がばれ首になった。次のところでは5円を盗み、12歳で監獄に入る。だが、監獄の方がいい生活であった。
それ以来西陣の機屋で働いたが前科がばれクビ。大阪で浮浪者、野宿生活となり泥棒集団の仲間に入るが、逃げ出す。京都で泥棒をし、13歳で再び監獄に戻される。この13歳の時期男色に耽った。刑務所を出ると四国で一家は乞食をしていたが、泥棒の金で家を借り一家を住まわせた。15歳の秋には初めて少女の味を知った。だが、名古屋に向かう途中自転車を盗んだ罪で刑務所に戻る。
そして、彼は出所し京都に戻る。17歳の時には54歳の女と出会い一年間セックスをした。それにより、今まで年上の女性に主に玩具にされる生活は一転した。その婆さんの娘である11歳の娘に手を出し、近所の娘や女工を強姦した。
その後京都の金閣寺裏山でレイプ殺人を行い無期懲役の判決を受け、関東連続少女殺人事件で死刑判決を受け死去した。死刑囚となって猛勉強し、西洋の哲学書、文学を読破し、原稿用紙3000枚という膨大な自伝を残した。
[編集] 著書
- 「娑婆」(大正15年、厳松堂書店)