園部秀雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
園部 秀雄(そのべひでお 1870-1963)は女性武道家。 直心影流薙刀術第十五代宗家。現在の大崎市(旧岩出山町)出身。
近代日本史上最高の薙刀の名人として名を残す。 名だたる剣道家、槍術家の男性と数百回に及ぶ他流試合を行い、総なめにしたという。園部に敗北した武道家の中には中山博道、高野佐三郎、内藤高治などの大日本帝国武徳会剣道の大御所もいた。
94歳で世を去るまでの生涯で彼女が敗北を喫した試合は二回のみ。一回目は契り木という特殊な武器を相手にした時、頭上でこの武器を受け止めたものの先端についた分銅で背中を打たれての敗北。もう一回は武徳会会長、渡辺昇の秘蔵弟子であった堀田捨次郎との戦いである。
なお、園部秀雄の幼名は日下たりたと言ったが、これは六女として生まれた彼女に対し、子供が女ばかりでもう「足りた」からと親が名づけたものだという。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 河北新報の記事[1]
[編集] 参考文献
『古流剣術』田中普門著 愛隆堂