ノート:外国人恐怖症
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見出しと内容の乖離が気になります。「外国人恐怖症」というと、一般には「コリアンに対する嫌悪」ではなく「白人に対する気後れ」を意味するように思うのですが。もちろん、事例には「人種差別・外国人恐怖症担当」というのもあり、「排外主義」を意味することもあるでしょうけど。ハイゼン 2005年10月2日 (日) 16:14 (UTC)
アジア系の人たちに対する「忌避感」というのは、一部のアジア問題に詳しい人たちを除いて、歴史的な負い目から「相手にするのが面倒くさい」というくらいなものだと思います。しかし、これも一種の外人恐怖症です。
ドイツ人もユダヤ人と会話するときに緊張するんだそうです。これを同じようなことで、私が大学院生だった頃の経験ですが、韓国の留学生と会話するとき、別にどちらが実際に悪いことをしたわけでもないのに、お互いに緊張することがありました(絶対に政治関係の話題を振ってはいけない、など)。この反射的な緊張感は、たぶん外人恐怖症の範疇に含まれると思います。--58.93.138.135 2006年7月5日 (水) 12:38 (UTC)
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[編集] 除去について
反日と重複する記述は関連もなく無駄なので省きました。国連人権委員会の特別報告者に関しては記述するのであれば日本の民族問題の方が適切です。johncapistrano 2005年11月1日 (火) 07:20 (UTC)
- 「外国人恐怖症」はだいたい実際の問題に当てはまるカも知れませんが、xenophobiaに訳す事はできないと思います。「xenophobia」の部首を分析すれば、確かに「外国人恐怖症」にはなるのですが、現在「他民族嫌悪症」のようなニュアンスで使われていますので、避けたほうがいいと思います。私は、日本在住白人として、日本人の私に対しての恐怖を感じる事がありますが、殆どの場合は、その恐怖を生じたのはその人の英語能力不足でした。こちらから、日本語で話しかけたら、向こうの表情が恐怖から安心に変わります。
[編集] 各国の「外国人恐怖症」
この語の定義からすると別段日本人・日本国特有の現象ではなさそうだから、各国の例を簡潔ながらでも付け加えることもまた可能であろうし、政治的中立性・多元的思考に立脚すればむしろ必要であると考えられる。利用者:Shikine 2005年11月1日 (火) 13:15 (UTC)
- 本当にその通りの編集をしているならいいが、「反日」は日本人嫌悪ではないでしょう。johncapistrano 2005年11月1日 (火) 13:21 (UTC)
- あなた個人がそう考えているというだけの話ですが。利用者:Shikine 2005年11月1日 (火) 13:48 (UTC)
- それぞれの国に外国人嫌悪がないとは言わないので、もう少し調べてそれぞれの国についてまともな記述にするようにお願いします。johncapistrano 2005年11月1日 (火) 13:55 (UTC)
- あなた個人がそう考えているというだけの話ですが。利用者:Shikine 2005年11月1日 (火) 13:48 (UTC)
[編集] 鎖国
江戸時代の「鎖国」が現代日本人の閉鎖的メンタリティを決定付けているわけではないだろうし、日本の歴史においてはむしろ開国していた時期の方が長い。江戸時代にもオランダや朝鮮などと国交があったし、末期には諸外国に開国していた。そもそもその江戸時代に生きていた人は今の日本に一人もいない。よって根拠の無い推測であると思われる。利用者:Shikine 2005年11月1日 (火) 14:30 (UTC)
- その点は同意します。むしろ現在の記述が差別の原因を外国人恐怖症にこじつけようとしている感じで(まあ反日を外国人嫌いにこじつけようというのと大差ないが)。johncapistrano 2005年11月1日 (火) 14:48 (UTC)
[編集] 嫌韓や反日は外国人恐怖症ではないでしょう
嫌韓や反日は、外国人/余所者であるから忌諱されているのでなく、それぞれの対象固有の事由(歴史的経緯や偏見)ゆえに嫌悪されているのですから、むしろ民族差別に分類されるべきでしょう。Hermeneus (user / talk) 2006年1月8日 (日) 14:29 (UTC)
あとゼノフォビアは別に国籍差別ではありません。他者、余所者を忌諱することが本質であって、ゼノフォビアにおいて外国人が主な忌諱の対象とされるのは単に外国=余所であるからにすぎません。Hermeneus (user / talk) 2006年1月8日 (日) 14:35 (UTC)
>嫌韓や反日は、外国人/余所者であるから忌諱されているのでなく、 >それぞれの対象固有の事由(歴史的経緯や偏見)ゆえに嫌悪されているのですから
なぜこのような分別ができるのですか?両者が一体化した感情だと思うのですが。--203.181.121.212 2006年1月25日 (水) 23:36
- そういう分別があるから異なる用語が存在するのです。「外国人」というのはもっぱら自国内にいる外国人のことであり、外国にいる外国人や異民族は対象になりません。Hermeneus (user / talk) 2006年1月25日 (水) 14:51 (UTC)
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- 多民族社会において(自国内、外国を問わず)よそ者、外国人を対象にする嫌悪感が外国人恐怖症(Xenophobia)、異民族(人種)に対象する偏見や差別が民族(人種)差別(Racism)です。195.188.41.139 2006年7月25日 (火) 17:07 (UTC)