大中臣頼基
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大中臣 頼基(おおなかとみ の よりもと、仁和2年(886年)頃? - 天徳2年(958年))は、平安時代中期の歌人。父は大中臣輔道で、子に梨壺の五人の一人大中臣能宣がいる。三十六歌仙の一人。大中臣氏は代々神祇をつかさどる家系であるが、頼基は能宣・輔親・伊勢大輔とつらなる大中臣氏における歌人の祖となる。
従四位下神祇大伯に至り、祭主となる。宇多上皇の信任が厚く、「大井川行幸和歌」や「亭子院歌合」への参加のほか、屏風歌・賀歌などへ進詠した歌が多く残されている。
「拾遺和歌集」以下の勅撰和歌集に入集。家集に「頼基集」がある。