大日ノ出崇揚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大日ノ出 崇揚(おおひので たかあき、1970年1月19日-)は兵庫県宍粟市(旧宍粟郡千種町)出身の元大相撲力士。立浪部屋所属。本名 は西田 崇晃(にしだ たかあき)。身長183cm、体重151kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は西前頭9枚目(1999年5月場所)。
目次 |
[編集] 来歴
親戚に阪神タイガースの選手がいたため幼い頃からリトルリーグで活躍。中学時代は野球部に所属していた。しかし、中学3年の時に相撲の経験はまったく無かったが、宍粟郡の相撲大会に駆出され、兵庫県大会まで勝ち進んだ。私立市川高等学校に進学してから本格的に相撲を始め、日本大学時代には全日本相撲選手権大会で活躍した。大学卒業後には和歌山県庁に就職することが決まっていたが、相撲に未練が残っていたことも有り、大学時代の2年先輩であった大翔鳳の紹介で立浪部屋に入門。1992年1月場所に幕下付出で初土俵を踏んだ。右四つの型にはまった取り口で入門時から将来を期待されたが、右膝の故障に悩まされ幕下中位でかなり苦労した。1996年7月場所、大日ノ出は幕下で6戦全勝とするが、もう1人の6戦全勝が同部屋の広瀬山だった為、13日目、7番相撲で星違いの後藤と対戦が組まれたが、広瀬山が星違いの金作に敗れ、続く大日ノ出も後藤に敗れた為、全勝力士が消えて1敗力士9人による優勝決定戦とされてしまった(優勝は金作)。次第に右膝の調子も良くなり上位でも得意の左上手を取ってからの相撲が通じるようになり、1997年1月場所に十両に昇進した。十両には定着したものの、十両上位で惜しい所まで行きながら負け越してしまうことが多々あり、上位と下位を往復する生活が2年近く続いた。1999年1月場所にそれまでの最高位を大幅に上回る東十両筆頭まで番付を上げ、8勝7敗と勝ち越し、翌3月場所に幕下付出からでは最長となる所要43場所で新入幕を果たした。一時は幕内に定着していたが、内臓疾患を患い2000年1月場所を最後に十両に陥落。それ以降も再入幕を目指して相撲を取っていたが、次第に内臓疾患の病状が重くなり同年7月場所を休場し、幕下に陥落した翌9月場所も全休した。日常生活を過ごすには差し支えの無いくらいまで回復していたが、相撲を続けるには無理があるため、その場所を最後に現役を引退した。引退後は、実業家に転身した。
[編集] エピソード
幕下付出の初土俵から43場所を要しての入幕は史上最長記録。1999年3月場所に新入幕を果たしたのは大日ノ出と雅山である。雅山は前年の7月場所に幕下付出から土俵を踏み史上最短タイの4場所での入幕であった。偶然にも、幕下付出からの最長力士と最短力士が同時に新入幕を果たしたため話題となった。
[編集] 主な戦績
- 生涯成績:262勝243敗27休(53場所)
- 幕内成績:42勝48敗(6場所)
[編集] 改名歴
- 西田山 崇晃(にしだやま たかあき)1992年1月場所~1994年1月場所
- 大日ノ出 崇揚(おおひので-)1994年3月場所~2000年9月場所