太子密建
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太子密建(たいしみっけん)とは、皇帝が後継者を指名せず、その名前を錦の箱に納めて紫禁城の乾清宮の正面に掲げられた「正大光明」と書かれた額の裏に置き、皇帝の死後、衆人立会いの下、これを開き後継者を決めること。秘密立儲(ひみつりっちょ)ともいう。
清朝第5代皇帝雍正帝が定めた。雍正帝は男子35名の四男であったが、父康熙帝が臨終のときに、侍臣の手のひらに「四」と書くことで後継者に指名した。このときに、実は「十四」と書いてあったのを「十」指を曲げて隠したとか、なめて消したという噂が流れたので、禍根を断つために考え出された。
皇帝の存命中、皇太子を公表しないことにより、王子が皇太子に指名されるよう努力をしたり、臣下が皇帝派、皇太子派に分かれて派閥争いをすることを防げるとともに、皇帝の専制君主の座の確立につながった。
[編集] 参考図書
- 増井経夫『大清帝国』(講談社学術文庫、2002年)ISBN 4061595261
- 加藤徹『西太后』(中公新書、2005年)ISBN 4121018125
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