孫登
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孫登(そんとう、209年 - 241年)は呉の初代皇帝孫権の長男で皇太子。孫璠・孫英・孫希の父。字は子高。妻は周瑜の娘。宣太子と諡された。
幼少の頃から聡明であった。生母の身分が低かったために、孫権の妻の一人である徐夫人に育てられた。当初は後継者の地位も危ぶまれたが、孫登自身が聡明で人望もあり、孫権が皇帝になると、皇太子となった。
しかし241年、病のために33歳の若さで病死した。死ぬ直前、孫登は父・孫権が弟の孫和を愛していることを知り、自分の死後、孫和を皇太子として取り立てるように遺書を残し、呉の内部分裂を避けようとしたという。しかし聡明で人望のあった孫登の若死は、呉の内紛を招く大きな一因となってしまった。
『三国志演義』では徐夫人の子であるとされている。