小出吉英
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小出 吉英(こいで よしふさ、よしひで、天正15年(1587年) - 寛文6年3月9日(1666年4月13日))は、江戸時代前期の大名。小出吉政の嫡男。官位は従五位下、大和守。正室は保科正直の娘、貞松院。子に吉重、英信、娘(立花種長室)、娘(松平信之室)。
慶長9年(1604年)に父・吉政が和泉国岸和田藩に移った後、但馬国出石藩6万石を領した。この際、叔父に当たる三尹に所領の一部を分知して和泉陶器藩を立藩させている。慶長18年(1613年)、父が死去すると家督を継ぎ、岸和田に移ったため、出石は弟の小出吉親が継ぐこととなった。後に岸和田から出石に移封となり、弟の吉親は丹波国園部に移封されて、園部藩を立藩する。
一方、吉英は新たに出石城を築城し、有子城より居城を移転している。死後、家督は次男の小出吉重が継いだ。
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