小堀政恒
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小堀 政恒(こぼり まさつね、慶安2年(1649年) - 元禄7年1月2日(1694年1月26日))は、近江小室藩の第3代藩主。父は第2代藩主・小堀正之(政恒は長男)。母は森川氏之の娘。正室は土岐頼行の娘・円鏡院。側室は真光院(青山氏)。子に政房、政峯。官位は従五位下、和泉守。号は宗實。
初名は小堀政延。延宝2年(1674年)、父の死去により後を継ぐ。臨時で駿府加番を努めたことがある。御詰衆、田安御門番などを歴任。天和2年(1682年)には朝鮮通信使の御馳走役、元禄4年(1691年)には日光東照宮御祭礼奉行を勤める。元禄7年(1694年)元旦に江戸城に登城したとき、急病により倒れて翌日に江戸屋敷で死去した。享年46。後を子の小堀政房が継いだ。
法号:法源院。墓所:滋賀県東浅井郡浅井町の孤蓬庵。
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