小野十三郎
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小野 十三郎(おの とうざぶろう、本名は小野藤三郎、男性、1903年 - 1996年)は詩人。
大阪府、大阪市南区の裕福な家庭に生まれる。1921年に上京し、東洋大学専門学部文化学科に入学するも、わずか8ヵ月ほどで中退し、親からの仕送りを受けながら詩作を続けた。
南天堂で知り合った萩原恭次郎、壺井繁治、岡本潤らの詩誌『赤と黒』を見て刺激を受けアナーキズム詩運動に入る。そして1926年には岡本潤・秋山清らと協力し、『弾道』を創刊した。
1933年に大阪に戻り、1939年、大阪の重工業地帯に取材した詩集『大阪』を発表した。それ以後は小野十三郎独自の詩風を確立した。
戦後は、大阪文学学校を1954年に創設し、1991年まで校長として務めた。後進の指導にも力を尽くし、小説・詩・児童文学などの講座を開設。文学の大衆化や市民平和運動に指導的な役割を果たした。
1979年には『小野十三郎全詩集』が刊行されており、第2詩集『古き世界の上に』からは戦争が詩の世界に暗い大きな翳りを投げかけ、それ以後の詩のテーマに通底することとなった。
[編集] 代表作
- 『大阪』(大阪市民文化賞)
- 『火呑む欅』
- 『半分開いた窓』
- 『風景詩抄』
- 『重油富士』
- 『拒絶の木』(第26回読売文学賞)
- 『詩論』(大阪府民文学賞)