山下菊二
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大正8年徳島県三好市に生まれる。昭和13年、上京して、福沢絵画研究所に入る。昭和24年、美術文化協会の会員になるが、翌年、退会。以後、多くの会を結成、あるいは参加。昭和27年、小河内村へ行き、ダム反対闘争。以後、松川裁判、安保闘争、狭山裁判などに加担。昭和50年、筋萎縮症と判断される。昭和61年、死去。権力や差別、天皇制や庶民意識の問題と向かい合い、渾沌たる現実を超現実主義の方法で戯画化したり、探訪絵画を創案して、事件を紙芝居化するなど、その絵画は、戦後史の証言ともなる重要なものである。代表作に《あけぼの村物語》(昭和28)《見られぬ祭》(昭和40)《葬列》(昭和42)《転化期》(昭和33)など。