山村才助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山村 才助(やまむら さいすけ、1770年(明和7年)- 1807年(文化4年))は、江戸時代後期の地理学者。父は土浦藩士の山村昌茂(司)、母はまき。才助は通称で、名は昌永、字は子明、号に夢遊道人。
[編集] 略歴
江戸に生まれる。幼少から地理学を好み、1789年(寛政元年)母方の叔父市河寛斎の紹介により大槻玄沢の芝蘭堂に入門する。玄沢四天王と呼ばれ、蘭学者番付では西関脇となっている。世界地理を研究し、1802年(享和2年)にはオランダ語地理書から訳出し新井白石著の「采覧異言」に訂正・補足を施し、総合世界地理書「訂正増訳采覧異言」とまとめた。文化元年(1804年)には幕府に献上され、幕命で『魯西亜国志』をまとめる。後に、訳稿である「新訳東西游記」などを著した。ほか、明代のイエズス会士地理書『職方外記』を検証した『明儒翻訳万国図説考証』、同門の橋本宗吉の誤りを訂正した『喎蘭新訳地理全図』など。38歳で死去。没後公刊の著作も多い。
[編集] 参考文献
- 鮎沢信太郎 『山村才助』 吉川弘文館 1959年 ISBN 4-6420-5151-1