山田無文
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山田無文(やまだ・むもん 1900年7月16日 - 1988年12月24日)は昭和期日本の代表的禅僧。チベット探検で有名な河口慧海を頼って出家するが、あまりの厳しい生活に結核になってしまったというエピソードも。わかり易い法話で親しまれた。
[編集] 経歴
- 愛知県北設楽郡武節村(現・豊田市)に生まれる。
- 1925(大正14年)、臨済宗大学(現・花園大学)卒業。
- 1929(昭和4)年、妙心寺専門道場。ついで天龍寺専門道場で関精拙に参ずる。
- 1949(昭和24)年、花園大学学長。
- 1953(昭和28)年、神戸・祥福寺専門道場師家。
- 1964(昭和39)年、禅文化研究所所長。
- 1978(昭和53)年、臨済宗妙心寺派管長、花園大学名誉学長。
- 1988(昭和63)年、没。
[編集] 著書
- 「自己を見つめる」(禅文化研究所)
- 「坐禅和讃講話」(春秋社)
- 「むもん法話集」(春秋社)
- 「臨済録」(禅文化研究所)
- 「無文全集」(禅文化研究所)
ほか。
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