平秩東作
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平秩 東作(へづつ とうさく、享保11年3月28日(1726年) - 寛政元年3月8日(1789年4月3日))は、江戸時代後期の戯作者、狂歌師、漢詩人、文人である。幼名は八十郎、後に八右衛門。姓は立松。名は懐之(かねゆき)。字は子玉、嘉穂、東鞠。平秩東作は戯号。号は東蒙山人。父は元尾州藩士で屋号は稲毛屋金右衛門。後に東作が父の屋号を引き継いだ。
[編集] 経歴
平秩東作は内藤新宿の馬宿に生まれた。享保10年、東作10歳のときに父道佐死去。14歳のとき、父の後を継ぎ煙草商になった。漢文学や和歌の教養があり、平賀源内と親交を持った。天明3年から4年まで松前と江差に滞在し、アイヌの風俗や蝦夷地について見聞したところを記した『東遊記』を著した。狂歌人としても有名で内山賀邸・太田南畝・四方赤良などとも交友を持った。
[編集] 作品
- 二国連壁談
- 東遊記
- 狂歌師細見
- 狂歌百鬼夜狂(狂歌集)