張既
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張既(ちょうき、170年?-223年)は、魏の武将。字は徳容。張緝の父で張藐の祖父。張殷の曾祖父。(張藐の甥)
馮翊高陵県の人。曹操が司空の頃、家臣として仕えた。鍾繇と共に馬騰・馬超父子の対策に尽くした。馬超が曹操に対して反乱を起こすと、その平定に尽力した。その功績により、京兆の太守に任じられた。
曹操の死後は曹丕に仕え、そのもとで涼州など魏の西方の刺史に任じられた。曹丕からの信任は厚く、「張既でなければ異民族で乱れる涼州は治められぬ」と言わしめたほどであったという。張既はその期待に応え、異民族対策に多くの成功を収め、涼州は張既の統治の間、乱れることは無かったとまで言われている。