彼岸過迄
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『彼岸過迄』(ひがんすぎまで)は、夏目漱石の長編小説。1912年1月1日から4月29日まで「朝日新聞」に連載。同年に春陽堂から刊行された。
「修善寺の大患」後初めて書かれた作品。自意識の強い男と、天真なその従妹との恋愛を描く。短編を集めて一つの長編を構成するという手法が具現化されている。後期三部作の第一作。
[編集] 作品解説
漱石は1910年の夏に病を悪化させ、危篤状態になった(修善寺の大患)。この1年半ののちに「彼岸過迄」の連載が始まったのだが、漱石は連載開始に当たり、初日(1月1日)に、「彼岸過迄に就て」という題の序文を発表している。これによれば、長く休んだためにおもしろいものを書かなくてはいけないと感じているとしている。また、「彼岸過迄」という題名は、元日から始めて彼岸過ぎまで書くつもりだったので名づけたことがわかる。
漱石は修善寺の大患のほかにも、発表前年の11月に、生後2年の五女ひな子が死亡している。また、文壇での孤立化といったこともあり、漱石が原典回帰を図った作品である。「彼岸過迄」は、序文にあるとおり数本の短編が集まって一つの長編を構成する、という手法がとられている。これは「吾輩は猫である」と同じ構成であり、序文にある宣言をして自らを立ちかえらせた。