斯波詮直
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時代 | 戦国時代から安土桃山時代 | |||
生誕 | 天文17年(1548年) | |||
死没 | 慶長2年(1597年) | |||
氏族 | 斯波氏 | |||
父母 | 父:斯波詮実 |
斯波詮直(しば あきなお)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。高水寺斯波氏の最後の当主。
天文17年(1548年)、斯波詮実の嫡男として生まれる。父の時代に南部晴政と戦って敗れ、実質的に高水寺斯波氏は南部氏の従属下に置かれていた。しかし天正10年(1582年)に南部晴政と南部晴継が相次いで亡くなり、南部氏内部で内乱が起こると、すかさず奪われていた岩手郡に侵攻し、そこを奪還したのである。
ところが詮直自身はあまり有能な人物ではなかったようで、遊興に耽って政務を顧みないことも少なくなかった。このため、家臣の石清水義長が諫言したが聞き入れることは無く、これに不満を持った石清水義教(義長の弟)や簗田詮泰らは南部信直と内通して石清水城で挙兵するほどであった。さらに天正14年(1586年)には有力重臣の高田吉兵衛が南部信直のもとに出奔するに至って高水寺斯波家の動揺は抑えきれないものとなり、天正16年(1588年)に南部信直の侵攻を受けて詮直は敗れ、ここに戦国大名としての高水寺斯波氏は完全に滅亡したのである。
その後、詮直は旧臣の山王海左衛門太郎のもとに潜伏し、そのまま慶長2年(1597年)に死去した。享年50。