新建築工芸学院
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新建築工芸学院(しんけんちくこうげいがくいん)とは、建築家である川喜田煉七郎(1902年-1975年)が、東京銀座に、1932年に設立した、建築、工芸、デザイン等を対象とする綜合的な学校。ある時期には演劇科も存在した。バウハウスに範をとった造形教育(個別の分野(建築、工芸、デザインといったもの)や素材・メディアにとらわれない、横断的な教育を意味する。川喜田は、「構成教育」と称した)を行ったことから、「日本のバウハウス」と呼ばれることがある。
日本人としては数少ないバウハウスの卒業生である水谷武彦と山脇夫妻をはじめ、建築家の土浦亀城らが、講師として参加した。卒業生としては、建築よりも、それ以外の分野の著名な人物が多い。例えば、亀倉雄策(グラフィックデザイナー)、勅使河原蒼風(華道家)、桑沢洋子(ファッションデザイナー)などである。
1938年(または1939年)に廃校となったが、その後、「日本のバウハウス」と呼ばれるような学校はでてきていない。しかし、この学校の教育方法は、例えば、桑沢洋子を通じて、桑沢デザイン研究所にひきつがれるなど、戦後の美術・デザイン教育へも影響を与えている。
川喜田に、建築家としての実作品で、一般的に知名度のあるものがほとんどなく、建築界においては、主流というよりはむしろ異端的・アウトサイダー的な位置付けであったことから、日本の近代建築史において、川喜田が注目されることがあまりなく、それに伴い、新建築工芸学院についての研究・紹介が、その設立経緯、カリキュラム等を含めて、現在にいたるまで十分になされていないのが現状である。
[編集] 参考文献
- 構成教育大系/川喜田煉七郎・武井勝雄/学校美術協会出版部/1934年(注:国立国会図書館に所蔵されている)
- 日本デザイン小史/日本デザイン小史編集同人・編/ダヴィッド社/1970年
- 日本の建築家/新建築1981年12月臨時増刊/新建築社/1981年
- 日本建築家山脈/村松貞次郎/鹿島出版会/1985年(2005年に復刻)
- バウハウス展1919-1933図録/セゾン美術館/1995年
- [カラー版]日本デザイン史/竹原あき子+森山明子・監修/美術出版社/2003年
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