ノート:新日本建設に関する詔書
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あえて「現代語訳」というものを掲載する必要はないと考えます。Wikipediaは「定訳」といったものを提供する場ではないでしょう。この「新日本建設に関する詔書」の意味を考える上では原文主義に徹し、軽々しい翻訳/現代語化は慎むべきだと考えます。(同様のノートを五箇条の御誓文でも出しました。あわせてご検討下さい)--にごう 2005年8月4日 (木) 07:38 (UTC)
- というか、全文の現代語訳ならWikisourceのほうが適切です。--Aphaia 2005年8月4日 (木) 07:45 (UTC)
- いまみてみましたが、原文と訳文をそれぞれ別ページ、または1ページにまとめてTranswikiするのがプロジェクト間の分担という見地からは適当なようにおもいます。--Aphaia 2005年8月4日 (木) 07:47 (UTC)
- それは私の言わんとしているところと違います。このような微妙な政治的含意をもった政治的マニフェストを「現代語に翻訳する」という作業は、その翻訳者の解釈という形で中立性に乏しいものが入り込む可能性がある、ということです。Wikisourceが複数の「試訳」を並列に掲載できるならそれはそれでいいのですが。--にごう 2005年8月4日 (木) 07:56 (UTC)
- POVを複数並べればNPOVになるというものではないですから、それはまずいんじゃないですか。いずれにせよ翻訳文全体を収録するというのはWPの領分じゃないですね。--Aphaia 2005年8月4日 (木) 08:51 (UTC)
- 「POVを複数並べればNPOVになるというものではない」でしょうけど、現状のように一つの訳文がある種のオーソリティーを与えられた(?)形で存在するのはもっと害悪が大きいと考えるのですが、Aphaiaさんはどうお考えですか? 「WPの領分じゃないですね」というのは、ここで問題となっている箇所に関しては削除すべし、ということでしょうか。それとも、私のkickoffに対して茶々を入れられただけでしょうか。--にごう 2005年8月4日 (木) 08:57 (UTC)
- あいまいな表現で失礼しました。原文・翻訳文ともにWikisourceへ送った上で除去が妥当だという判断です。翻訳文については送らなくても構わないかもしれませんが。NPOV化というのは編集で対処すべきレベルの問題ですが、NPOVであろうとなかろうと全文をおくことはWPの目的にそぐわないという判断に基づいています。--Aphaia 2005年8月4日 (木) 09:00 (UTC)
- それは私の言わんとしているところと違います。このような微妙な政治的含意をもった政治的マニフェストを「現代語に翻訳する」という作業は、その翻訳者の解釈という形で中立性に乏しいものが入り込む可能性がある、ということです。Wikisourceが複数の「試訳」を並列に掲載できるならそれはそれでいいのですが。--にごう 2005年8月4日 (木) 07:56 (UTC)
- いまみてみましたが、原文と訳文をそれぞれ別ページ、または1ページにまとめてTranswikiするのがプロジェクト間の分担という見地からは適当なようにおもいます。--Aphaia 2005年8月4日 (木) 07:47 (UTC)
[編集] 昭和天皇の記者会見の情報源について
1977年8月23日の昭和天皇の記者会見について出典/情報源につて明記するよう投稿がありました。これに関してですが、77年8月24日の読売新聞と朝日新聞の報道では天皇の御発言に食い違いがあります。また、wikiに現状掲載されているものとも食い違いがあります。実際、昭和天皇が記者会見でどのような発言をされたのか、何か御存知でしたら提供ください。
■読売新聞1977年8月24日
――二十一年年頭に出された神格化否定の詔書について、ことし公開された日米の外交文書などで、GHQの草案があったとされていますが・・・・・・。
陛下 そういう問題については、今、批判的な意見を述べる時期ではないと思います。
――詔書のはじめに五箇條ノ御誓文を入れられたのは陛下ご自身のご希望でしょうか。
陛下 それが実は、あの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは二の問題でした。当時はアメリカその他諸外国の勢力が強く、日本が圧倒される心配があったので、民主主義を採用されたのは明治天皇であって、日本の民主主義は決して輸入のものではないということを示す必要があった。日本の国民が誇りを忘れては非常に具合が悪いと思って、誇りを忘れさせないためにあの宣言を考えたのです。はじめの案では、五箇條ノ御誓文は日本人ならだれでも知っているので、あんまり詳しく入れる必要はないと思ったが、幣原総理を通じてマッカーサー元帥に示したところ、マ元帥が非常に称賛され、全文を発表してもらいたいと希望されたので、国民及び外国に示すことにしました。
■朝日新聞1977年8月24日
――「人間宣言」の冒頭に五箇条の御誓文を持ってこられたのは、陛下のご意思とうかがっておりますが。
陛下 あの宣言の第一の目的は御誓文でした。神格とかは二の問題でありました。当時、アメリカその他諸外国の勢力が強かったので、国民が圧倒される心配がありました。民主主義を採用されたのは、明治大帝のおぼしめしであり、それが五箇条の御誓文です。大帝が神に誓われたものであり、民主主義が輸入のものでないことを示す必要が大いにあったと思います。(はじめは)国民はだれでも知っていると思い、あんなに詳しく書く必要はないと思いました。当時の幣原喜重郎首相とも相談、同首相がGHQのマッカーサー最高司令官に示したら「こういう立派なものがあるとは」と感心、称賛され、全文を発表してもらいたい、との強い希望がありましたので、全文を示すことになったのです。あの詔勅は、日本の誇りを国民が忘れると具合が悪いと思いましたので、誇りを忘れさせないため、明治大帝の立派な考えを示すために発表しました。
■wiki2007年4月12日現在
神格は二の(次の)問題であり、日本の国民が日本の誇りを忘れないように、ああいう立派な明治大帝のお考えがあったことを示すためにあれを発表することを私は希望したのです。
--鹿九郎 2007年4月12日 (木) 00:42 (UTC)