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昭宮猷仁親王(あきのみやみちひとしんのう、1887年- 1888年11月12日)は、日本の皇族で明治天皇第四皇子。母は園祥子で、大正天皇の異母弟にあたる。満宮輝仁親王は同母弟。お印は不明。降誕時に称号に関する告知はなされていない。本来ならば直宮家の当主となる立場にあったが、夭折したため宮家は興していない。 逝去は枢密院の会議中の11月12日のことで、伊藤博文が出席していた明治天皇に報告したが、天皇は会議が終わるまで議場を動かなかったという逸話が伝わる。