ノート:東アジア言語
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[編集] 記事内容に対する疑問
この記事は、英語版では、見出しが「East Asian language」という単数の形であるが、本文では、最初に「East Asian languages」と複数の形になっている。本文からすれば、また記載内容からすれば、「東アジア諸語」とでも訳すべき内容で、「東アジア言語」は誤訳である。仮に、東アジア諸語だとしても、記載内容からすると、何を根拠にこのような記事を書いているのか不明である。形態論、意味論、統辞論などの観点から「比較・対照」してはいるが、どうして「東アジア諸語」という括りににできるのか、不明であり、更に、最後の章では、複数の語族(仮説乃至空想のような語族を含め)に帰属が分かれると示唆している。すると、これは単に、東アジアで使用されている言語を、概説しただけで、その場合、「東アジアの言語」が訳として正しい。
しかし、「東アジアの言語」の概説であるにしては、中国語、日本語、朝鮮語、ヴェトナム語を中心にした説明しかなく、また、実際に、このような貧弱な把握で、東アジアの言語の概説を論じようと言うのは無理があると思う。更に、「インド太平洋大語族」、「オーストリック大語族」、「扶余語族」とは何なのか。インド太平洋大語族は名称からすると、インドの言語と、オーストロネシア語族をまとめたような言語群に見えるが、インドの言語は、北の印欧語と南のドラヴィダ語で、それ以外の言語も確かに存在するが、少数派である。印欧語とオーストロネシア語族が関係あるという話は聞かないので、すると、これはドラヴィダ語とオーストロネシア語族をまとめた言語群なのだろうか。「扶余語族」に至っては、言語学的な仮説でさえもない(仮説として立てるにも、古朝鮮語の資料がなく、日本語も6世紀頃までしか確実には遡れない。大野晋の日本語・ドラヴィダ語起源説は、比較言語学的には問題はあっても、実在する言語資料を元に、語彙や文法、文化の対照比較は行っている)。
記事としては、「東アジアの言語」という名称で、東アジアの諸言語や諸語族を対照・比較しつつ、概説する内容は可能だと思うが(非常に難しいとも思う)、現在の内容では、「正確さ」に疑問があり、意味不明な部分や根拠不明な部分を大幅にコメントアウトまたは削除せねばならないと思う。「漢字文化圏」であるからと言って、これだけ多様な言語の群に関して、言語的に何かの共通項があるとは安易に言えないのである。--Maris stella 2005年11月26日 (土) 15:35 (UTC)
- 学術的にも言語コードに関する用語としてもしばしば見受けられる「東アジア言語」をEast Asian languageの訳として引っ張って来たが何か不満でも?「東アジアの言語」では何だか坐りが悪いし、「東アジア諸語」という言葉の使い方は学術的にも言語コードでもやらぬので、記事名に関しては承服致しかねる。しかし記事内容に関してはこれは英語版の訳なので儂の意見は一つも混じっていない。個人的な意見で言わせてもらうとIndo-Pacific languages、Fuyu languagesなんてものは初耳で日本人の考えたものではないのでこれを日本語として移入するかは如何とも言えないが、翻訳の上で仕方なしに入れたものなのだ。それゆえ、日本語版は勿論、英語版にも間違い不備があればどんどん加筆して頂きたいと思う。Sionnach(話/歴)2005年11月27日 (日) 02:51 (UTC)
- なるほど、仰られる通り、「東アジア言語」という言葉は、実際に存在し、学術的に使われているようです。浅学をお詫びします。しかし、「東アジア言語」というのは、すでに存在する術語についてどうこう言っても仕方ありませんが、こちらの方が、座りが悪く奇異に思えます。漢字文化圏に属すると言うことと、単に「東アジア」に分布するというだけで「東アジア言語」では、「アフリカ言語」とか「南アメリカ言語」のような言い方が不自然であると同様に、不自然でしょう。それと、「儂の意見は一つも混じっていない」とのことですが、翻訳するときには、必ず「解釈」が入っており、翻訳者の「意見の入っていない翻訳」は存在しないというべきでしょう。--Maris stella 2005年11月27日 (日) 11:08 (UTC)