東条義武
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東条 義武(とうじょう よしたけ、生年不詳 - 享保7年12月14日(1723年1月20日))は江戸時代中期の旗本。忠臣蔵で有名な吉良上野介義央の甥にあたる。通称は嘽之助(せんのすけ)、三之助(さんのすけ)、左門(さもん)。
旗本拓殖平右衛門兄正の三男。母は荒川丹波守定昭(吉良義定の次男荒川定安の子)の娘。吉良義央の弟東条義叔の養子に入った。宝永6年(1709年)3月12日に家督相続し、4月18日にはじめて将軍徳川家宣に拝謁したが、生涯小普請(無役の旗本)だった。享保7年(1722年)12月14日に死去。吉良家の菩提寺万昌院に葬られた。家督は養子の義孚が継いだ。
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