楯岡光直
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楯岡 光直(たておか みつなお、生没年不詳)は、戦国時代の武将。最上義光の弟。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが勃発。 その時光直は700挺の鉄砲隊を含む1000の軍勢を率いて甥清水義親と共に参戦、志村光安の救援にあたった。 この鉄砲隊により、直江兼続も苦戦を強いられたという。 元和4年(1618年)、楯岡城主となった(1万6000石)。
山形藩2代目当主最上家親が鷹狩りの後楯岡城に立ち寄った。家親は光直の饗応を受けたが、その夜突如家親は悶死した。 それを松根光広は光直の毒殺によるものだと幕府に訴えたが、証拠はつかめず、真相は闇に葬られている。