歴史学派
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歴史学派(れきしがくは)は、19世紀初めに法学・経済学の分野でドイツに起こった学派。啓蒙期合理主義の持つ抽象性・普遍性に反対して、歴史事象の具体性を重視すべき事を主張した。法学での代表者はサヴィニー、アイヒホルンであり、経済学では、ヒルデブラント、ロッシャー、クニース、シュモラーが著名な歴史学派の学者であった(経済学説史上は旧歴史学派と新歴史学派に分かれる。ヒルデブラント、ロッシャー、クニースらは旧歴史学派に属し、シュモラーは新歴史学派に属する)。この学派の傾向は、ヘルダーがその『歴史哲学』で宗教感情や民族精神・風土の特有性の強調したことに起源を持ち、史学の分野における歴史主義のようにロマン主義やフリードリヒ・リストのようにドイツ統一運動と結びつき、19世紀末にはその保守性・相対主義のために批判された。特に経済学方面ではマックス・ヴェーバーの『ロッシャーとクニース』における批判が知られている。
[編集] 経済学分野における新歴史学派
経済学分野におけるドイツ歴史学派は、ロッシャーらの旧歴史学派と、シュモラーを中心として成立した新歴史学派に大別される。
旧歴史学派の特色は、歴史研究から経済学的な一般法則を導こうとする点にあった。ただしその研究において、拙速に一般法則を導こうとした側面があったことは否めない。この反省から、シュモラーは一層の資料収集を行い、より精緻な歴史分析を行うことを目指した。このことは、カール・メンガーによって経済学からの乖離を指摘されることにつながり、方法論争へと結びついた。
また、新歴史学派は、経済学の歴史学的側面の重要性を主張するのと併せ、倫理的側面の重要性も強調した。この認識は、ドイツ社会政策学会における社会改良的政策の要求として結実した。