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浪岡顕村(なみおかあきむら、弘治元年(1555年) - ?)は日本の戦国時代末期の武将。浪岡具運の子。陸奥国の名族浪岡氏の最後の当主。
川原御所の乱で父・具運が暗殺された後、叔父の浪岡顕範の後見を受けて家督を継いだ。しかし浪岡氏の勢力は衰える一方であり、その後は津軽征服の野望を燃やす津軽為信に居城を攻撃されて、1578年に捕らえられて自害させられたとも、このとき生き延びて安東氏を頼って落ち延び、1604年に死去したとも言われている。