ノート:生類憐れみの令
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[編集] 通説と見直し説
なんかここしばらく、しつこく通説を主張する編集が加えられていますが、通説は近年の研究によってかなりその根拠が怪しくなっており、「通説が正しい」と強調する意味はなくなっていると考えます。該当者に、通説を強調する編集を加える意味についてご説明いただきたい。--Nekosuki600 2006年7月19日 (水) 06:05 (UTC)
- たまたま覗いた者が横から割り込みですが。私には通説の方がまだ有力だと思われます。少なくとも根拠が怪しくなったという程ではありません。いくつかの啓蒙書(論拠に挙げられてるのが新書では…)で書かれたからといって、通説が揺らいでいるということは無いと思います。冒頭の「否定されつつある」くらいならいいと思いますが、まだ否定され始めたばかりという段階で、全く通説が否定されたわけでも、通説の否定が有力となってきた訳でもありません(そうでないとするなら新書などではなくそれなりの論文などを示して欲しいところです)。また少なくとも私が読んだ否定的な説では「戦国時代の荒々しい風潮を一掃」などという抽象的で価値判断的側面が強い反論ではなく、(動物だけではなく)捨て子や老人介護の放棄を諫める道徳的側面および野良犬の管理による治安的・衛生的側面からの反論であり、その方が説得力があると思いますが、それについては触れられず、記述がいかにも「通説は間違い」と最初から決めつけているようなものに偏っています。また「人々は次々に裏をかいておちょくり」「不幸なループに陥った」などは百科事典としてはふさわしくない表現と思います。210.254.87.213 2006年7月19日 (水) 22:55 (UTC)
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- 「広く知られている」という意味では確かに通説の方が有力であるようには思いますが、通説を明確に否定する論拠なども出されており、「広く知られているかどうかで優劣が決められる」とは思いません。まあ、調べるためにこの項目をひらく方にとって親切であるためには、通説についてのある程度の説明も必要であろうとは思いますが、「通説が、正しい」という内容にする必要はないんじゃないでしょうか(もちろん「見直し説が、正しい」と力説するのも不適切。対等併記でいい。ただ、通説優位説に傾くことにも同意はできませんし)。
- また、生類憐みの令や徳川綱吉をメインとして据えたわかりやすい本という意味では確かに『黄門さまと犬公方』は記しておく価値があるようにも思うものの、それだけが見直し説の論拠のわけではないでしょう。たとえば大石慎三郎などによる側用人制度の再評価なども綱吉治世の見直しのひとつ(これもまぁ、新書でも出ていますが)。そういった大きな流れの紹介は、なぜ見直し説が出てきたのか、さらにはなぜ通説がああもあしざまに綱吉をののしる内容となっているのか、そういったことの説明として必須であると考えます。
- なお、「戦国時代の荒々しい風潮を一掃」「捨て子や老人介護の放棄を諫める道徳的側面および野良犬の管理による治安的・衛生的側面」などについては、綱吉がそういったことを考えて政策を立案したという根拠は示されておらず、おれに関してはそのあたりについて強調することについてはやや批判的です。後世の分析として記すことは可能でしょうが、それはあくまでも推測であるというあたりはふまえておかねばまずいでしょう。
- おれの感覚では、通説と見直し説は、両論の対等併記が適切であると思う(もちろん、見直し説が後出しである分だけ、見直し説から通説に対する批判も記されることになる)。「通説が正しい」という前提を置いて記述をするのは、現状ではすでに不適切になっているように思います。
- --Nekosuki600 2006年7月20日 (木) 10:12 (UTC)
ぼくが読んだ話はまったく違っています。 財政難に苦しんだ吉保が、新たな財源として、動物の皮製品を製造するエタ・ヒニンの階級に目をつけた。エタ・ヒニンは天皇直轄の民なのであからさまに徴税することはできない。そのため憐みの令を発布することにより、お目こぼし料をとりたてることを可能にした。 ソースは神保町の古書店で配布されるフリーペーパーです。歯科医のコラムにでてきました。--IP:219.204.176.87(会話/履歴)
- 全然調べないでレスしますが、その説はかなり怪しいと思います。いくつか根拠。
- いわゆる穢多非人ですが、これは日本全国でかなり制度がややこしく入り組んでおり、一概には言えません(穢多と非人以外にも山ほど種別がありました。というか、士農工商以外の全部が身分外身分だったわけで)。で、それらは必ずしも「天皇直属の民」という扱いではないんですね。そして皮革業者などは、皮革は武具にも使われていたことから、武家直属職人という位置づけもありました。他にも、たとえば十手持ちなどは穢多非人階層であることが多く、「下の身分」とは限らず「武士の下請け」「下級行政官僚」などといった位置づけもあわせもっていました。必ずしも武士階級から遠い階層だったわけではありません。
- また、穢多非人階層は必ずしも貧乏人ではありませんでしたが(明治維新などの際に財を投じて支援した実力者などもいました)、一般論として、富を蓄積したのは江戸幕府の体制が固まってからです。綱吉の時代にはまだ穢多非人階層は、狙い撃ちにするに足りるほどの資本力を身につけていたとは思いにくい。
- 江戸時代は、基本的に穏やかな連邦国家であり、江戸幕府が全国的な徴税権を持っていたわけではありません。従って、江戸幕府に課税が可能だったのは直轄地だけであり、新税を創出したとしても、全国的に徴税が可能になるわけではありません。
- 他のところでその説を耳にしたことはありませんので、なんか思いつきで書かれたコラムとかその程度のものじゃないかと思います。信頼性が高い続報があれば、まあまあ興味深い話なので、ノートででもご紹介いただけると幸いです。--Nekosuki600 2006年11月15日 (水) 12:43 (UTC)
Nekosuki600さん、塚本学氏の『生類をめぐる政治』(平凡社)くらいは読んでらっしゃいますよね?--彩華1226 2007年3月2日 (金) 11:54 (UTC)