田中哲朗
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田中 哲朗(たなか てつろう、1948年 - )は、日本のシンガーソングライター。
1978年 沖電気工業株式会社八王子事業所で強行された指名解雇に反対した結果、1981年に同社を解雇される。 その後、アマチュアのシンガーソングライター(自称 シンガーソングファイター)としてソロ活動を開始。 同社門前にてギター演奏を20年以上行い道行く人に"癒し"を与えている。
「いじめ」、「K君の選択」などの楽曲を書き上げ20年以上に渡り毎朝門前で演奏をしている為、八王子市民の間では有名である。
その地道な活動は、海外メディアを初めとして様々なメディア(北海道新聞、朝日新聞、毎日新聞、東京新聞、JapanTimes、Brutus、週刊ダイヤモンド、他)で取り上げられている。 また、自由民主党(当時)の亀井静香もその活動に感銘を受け田中を激励した事も有名である。 またモノ言う株主としても有名(東京新聞 2006年6月30日朝刊でも取り上げられた)であり、コンプライアンス遵守、労働環境向上を掲げて毎年株主総会に出席し株主総会のあり方に一石を投じている。
田中氏の楽曲は、iTunes Music Store 開始さかのぼる事約5年前よりインターネット上でオンライン配信されており、時代の風を読む能力にも長けているのも特筆すべき点である。
目次 |
[編集] 経歴
- 1948年 福岡県遠賀郡水巻町生まれ。闘士。
- 1969年 国立宇部工業高等専門学校卒業。
- 1969 沖電気工業株式会社に入社、LSI設計部に勤務する。マンドリンクラブ部長としても活動。
- 1975年 結婚。結婚式に同僚を招待するものの、会社側からの報復を恐れた同僚から辞退が寄せられた。
- 1981年 営業への異動辞令が発令されたものの拒否した為解雇され、翌日から毎朝沖電気正門前に立ち、自作の歌で「長いものに巻かれるな、いじめをなくせ」と心に訴える曲を数々歌い続け訴え現在に至る。自宅でギター教室を開業。同年八王子地裁に提訴。
- 1987年 指名解雇争議和解。氏にも金銭解決案が示されるが「会社が非を認めたことにならない」と拒否。
- 1992年 無所属として参議院議員から立候補するも落選。
- 1995年 最高裁上告棄却、敗訴。
- 2005年12月 多田謡子反権力人権賞受賞。
[編集] ディスコグラフィー
- 8月になると
- いじめ
- 一枚のビラ(市野宗彦作曲)
- 止められない
- 人らしく
- ほこり高く
- 大きな橋(佐伯義人作曲)
- 忘れてはいないか
- K君の選択
- つっぱり君に送るうた
- 悪くないのか
- 日差し
- 愛国心の歌
- 風2003.8.29