田柴科
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田柴科(でんさいか)は、朝鮮高麗時代の制度の一つで、官僚(両班)や軍人などに支給していた給与に相当する。
田地(田畑)と柴地(芝刈り地、燃料などに使う)の2つが支給されていたため、田柴科制度と呼ぶ。
この制度は、976年に導入され、幾度かの改良を経て1076年に完成の形を見る。 初めは国への忠誠や貢献に応じて、田地・柴地が支給されていが、その後官職に応じた形に改められる。
しかしながら、これとは他に功蔭田柴と言う制度があり、上級官僚は永続して所有できる田地、柴地を保有していた。11世紀には田柴科制度は破綻を見せ始め、12世紀には田柴の支給が少なく困窮した武臣の反乱を招いてしまう。
さらに高麗後期に入るとこの制度は完全に破綻してしまい、一部の官僚に支給される大量の恩給田(事実上の私田)が実際に支給できる田柴地を圧迫してしまい、元から解放された後に出てきた新興官僚の反発を招いた。