矢野ゆたか
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矢野 ゆたか(やの ゆたか、1946年(昭和21年)11月1日 ‐ )は、東京都狛江市長。本名は矢野裕(やの・ゆたか)。矢野ゆたかホームページによると、公的な場では「矢野ゆたか」、私的な場では「矢野裕」と使い分けている。
生年月日 | 1946年(昭和21年)11月1日 |
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出身地 | 東京都世田谷区奥沢 |
出身校 | 早稲田大学法学部卒業 |
学位 | 学士 |
前職 | 狛江市議会議員 |
世襲の有無 | 無 |
在任期間 | 1996年(平成8年) ‐ (現職) |
当選回数 | 3回 |
所属(推薦)党派 | 日本共産党 |
ウェブサイト | 狛江を語ろう 矢野ゆたかのホームページ |
[編集] 略歴
大学受験を控えた19歳の頃、社会の不平等はなぜ生まれるのか思索し、現実的な社会変革、科学的な見方の必要性を感じ、民主青年同盟や日本共産党の考えに共鳴。
早稲田大学法学部入学後、民主青年同盟に加入。1年生の時に法学部自治会役員、2年生の時には早稲田大学生協の役員となって学生運動にも参加。1968年(昭和43)、大学3年生の時に日本共産党入党。1970年(昭和45)判例時報社に編集部員として入社。1972年(昭和47)には同社労働組合を結成、初代委員長に就任。
1974年(昭和49)12月に同社編集次長に就任。日本共産党より狛江市議会議員選挙への出馬要請。1975年(昭和50)に当選、その後6期務める。1996年(平成8)に、前回市長選挙で市民運動と日本共産党により結成された「新しい狛江をつくる市民会議」などの要請を受け、同年6月7日に市長選出馬を発表。
矢野の記者会見の直後、現職の石井三雄市長が突然辞職記者会見を行ない、さらに失踪する騒ぎが発生。また、石井市長が公務を休み韓国でバカラ賭博に興じた挙句30数億円の借金をつくり、返済を債権者から求められ連日追われていた事実が報道により明るみに出る。
選挙戦では保守系候補が1本化の調整に失敗して分裂。前市長のスキャンダルの余波も手伝い、「市政刷新」を訴えた矢野が、7月に狛江市長に当選。2004年(平成16)の市長選挙(同年6月20日投開票)では、自民党、公明党、民主党、生活者ネット、連合東京の推薦を得た河西信美を破り3選を果たす。
[編集] 参考文献
- 矢野ゆたか・白藤博行 2004 「首長インタビュー(10)未来への地方自治-矢野ゆたか(東京・狛江市長)」『季刊自治と分権』(15)、4~23 ページ。
- 矢野ゆたか・福井典子 2003「自治体首長インタビュー 矢野ゆたか・狛江市長にきく-くらし優先のまちづくりを市民と協働で-(特集・くらしの再生をもとめて(2)地域から展望をつくりだす)」『福祉のひろば』43(通号408)、14~19ページ。
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