禰衡
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禰衡(でいこう、あるいは「ねいこう」とも173年-199年)は、後漢末期の人。字は正平。
平原の人。はじめ曹操に召しだされた。しかし、才能を鼻にかけて傲慢な態度をとったうえ、他人の評価に対しては酷評を行なったため、曹操をはじめとする皆々から恨まれた。曹操が禰衡の汚らしい姿を見てそれを指摘すると、禰衡は服を脱ぎ、「私の体は潔白だ、貴方のように汚れてはいない」と罵倒した、という逸話もある。しかし、孔融だけは禰衡を高く評価していた。その後、曹操の命を受けて(実際は体よく追い出す口実だったらしい)、荊州の劉表のもとへ交渉に赴いた。劉表に対しては下手に出たが、その配下に対しては傲慢な態度をとったうえ、酷評を行なったため、劉表配下の面々から恨まれた。このため、讒言により劉表の不興を買って遠ざけられた。
そして、劉表の家臣で黄祖の子・黄射と友人になり、黄射の仲介で黄祖と出会う。黄祖は禰衡をはじめは高く評価したが、次第に禰衡が傲慢な態度をとったため、遂に堪忍袋の尾が切れた。そして、部下に命じて禰衡を殺してしまったのである。
三国志演義では禰衡に「あなたは社の神だ。供え物や賽銭ばかりとって他人には何の利益も与えていない」といわれ、かっとなって黄祖自らが禰衡を切り殺している。 禰衡は必ずしも有能だったとは言えず、その最期も自らまいた種であると言えよう。曹操は禰衡の死を知ったとき、「変人らしい最期だ」と笑ったという。