稲畑汀子
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稲畑 汀子(いなはた ていこ、1931年 - )は、日本の俳人。日本伝統俳句協会の設立者。
[編集] 略歴
1931年、横浜に生れる。父高浜年尾、母喜美の次女。小林(おばやし)聖心女子学院高校卒。同英語専攻科中退。 小学生の頃から、祖父高浜虚子・父高浜年尾に俳句を学んだという。1935年、鎌倉から芦屋に転居。1956年24歳で稲畑順三と結婚、二男一女の母となる。1965年「ホトトギス」同人。1976年第一句集『汀子句集』刊行。1977年「ホトトギス」雑詠選者に。同年、父高浜年尾の死去により主宰を継承した。翌1980年、夫順三死去。
1982年より朝日俳壇選者に、1994年―96年、NHK俳壇の講師・選者となる。 1987年、日本伝統俳句協会を設立し、会長に就任。2000年、虚子記念文学館を芦屋に開館、理事長に就任する。
[編集] 著書
句集に『汀子句集』『汀子第二句集』『汀子第三句集』『障子明り』『さゆらぎ』など。 その他の著書に『舞ひやまざるは』『俳句に親しむ』『俳句入門』『自然と語りあうやさしい俳句』『俳句十二ヶ月』など。
[編集] 評価
評価はいまだ定まっていない。 父年尾は、第一句集の序文で「星野立子の句を虚子は「景三情七」といったが、汀子の句は「景七情三」といえる」と書いている。
祖父虚子の説に忠実で海外俳句にも、日本の「季題」を入れよという。
第一句集冒頭の「今日何もかもなにもかも春らしく」の代表されるように、写生派というよりも、あっけらかんとした花鳥諷詠といえようか。