竹迫城
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竹迫城(たかばじょう)は、現在の熊本県合志市(旧菊池郡合志町)にある城址。市の史跡。別名は合志城・蛇尾城・穴の城・上庄城など。
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[編集] 概要
鎌倉時代初期から戦国時代末期までの約400年間、肥後国合志郡における政治・軍事の中心であった。 築城から戦国時代初期までを竹迫氏、それ以降は合志氏が居城とする。 川沿いの丘陵を利用して造られた中世様式の城で、土塁と空堀によって郭が形成されており石垣は見られない。 城の縄張りは東西1800m×南北1400mとされる。中央の最高所に位置する本丸跡は楕円形(50m×30m)の平坦地となっている。
[編集] 沿革
- 鎌倉時代はじめの建久年間(1190~1199年)、合志郡の地頭職に任じられた中原師員(竹迫氏初代・竹迫輝種)によって築城される。
- 1510年(永正7年)竹迫氏第15代の竹迫公種が豊後へ移転。
- 1511年(永正8年)竹迫氏に代わって合志隆岑が城主となる。
- 1551年(天文20年)大友義鎮の攻撃を受けるも落城せず。
- 1584年(天正12年)龍造寺隆信の攻撃を受ける。
- 1585年(天正13年)島津氏の侵攻を受ける。新納久饒および川上左京亮の軍勢を合志隆重が迎え撃つが敗れて開城。
- 1587年(天正15年)豊臣秀吉の九州征伐を受け、薩摩へ撤退する島津氏が城を焼却。
- 1990年(平成2年)当時の菊池郡合志町により公園として整備される。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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