筒井順昭
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筒井 順昭(つつい じゅんしょう、 1523年3月2日(大永3年2月15日) - 1550年8月2日(天文19年6月20日))は、大和国の戦国大名。栄舜坊。筒井順興の嫡男。筒井順慶の父。弟に順政、順国ら。興福寺官符衆徒であった。
筒井城を居城にして、大和国に勢力を持っていた越智氏や木沢長政などの敵を次々と破って勢力を拡大し、大和一国をほぼ手中に収め、筒井氏の全盛期を作り上げた。
しかし1549年(天文18年)病を苦にして家臣数人を連れて突如比叡山に隠居。天然痘・脳腫瘍を患っていたという説がある。翌年死去。嫡子藤勝(順慶)はわずか2歳の幼子であったが、順政、順国らが補佐し、大和支配を保った。
なお、順昭の供養塔である五輪塔(重要文化財)が、奈良県生駒市の圓證寺(えんしょうじ)にある。
[編集] 元の木阿弥
順昭の死の間際に家臣を集め、子の順慶への忠誠を誓わせるとともに、敵を欺くため、自分と良く似ている木阿弥(黙阿弥とも)という奈良の盲目の僧を身代わりに立て、3年間(資料によっては1年間、あるいは子の順慶が成人するまで)死を隠すことを命じた。木阿弥は身代わりの間、贅沢な暮らしができたが、筒井家臣団が順慶の下で体制を整えなおした後に奈良へ帰され、元の身分に逆戻りした。このことから「元の木阿弥」という故事成句が生まれたとされるが、他にも説は多く、あくまでもひとつの伝承の類であると考えるほうがよい。