粂川部屋
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粂川部屋(くめがわべや)はかつて存在した相撲部屋。
明治末に活躍した友綱部屋の鬼竜山が部屋を創設、鏡岩善四郎を大関に育てた。また、師匠を亡くした玉錦三右エ門たち二所ノ関部屋の力士たちを一時預かった(1931年から1934年まで)。そのため、玉錦が二枚鑑札で二所ノ関部屋を復興したあとも、玉錦や玉ノ海梅吉と鏡岩の対戦はなかった。(合流前には、鏡岩は二所ノ関部屋の力士と対戦していた)
1936年12月に親方が亡くなると、鏡岩が二枚鑑札で部屋を継いだ。1939年5月かぎりで現役を引退、年寄専任となった。鏡岩は同時に大関に昇進した双葉山と仲がよかったため、1941年12月に双葉山が現役で双葉山道場を興したときに、粂川部屋を閉鎖し、所属力士全員を譲って、自分は部屋つきの親方となった。このとき移籍した中に、後の第42代横綱鏡里喜代治、関脇不動岩三男がいた。